織田信長 父 織田信秀について徹底解説!! 尾張の虎と呼ばれた男。

f:id:hummym:20200430200604j:plain

    HiCさんによる写真ACからの写真

 

写真の右の男性が今回、徹底解説をする織田信長の父織田信秀尾張の虎とも呼ばれた男。あの独創的な織田信長を育てた「織田信秀」はどのような人なのか。年号と一緒に見ていきましょう。

 

 

 織田信秀について

(永正8年)1511年生まれ   尾張国「おわりのくに」(愛知県)出身

 

父、織田信定   母、含笑院殿

 

人物像

  • 優れて頭をもっており、初めの低い地位から尾張国を代表する将軍となった。
  • 負けづ嫌いと強靭な精神をもっている

 

などなど、織田信長を育てた父は、やっぱり「子は親に似る」と言います。信秀のすごい所は、資金の貢献が挙げられます。朝廷に大量の銭を寄付することで尾張国を圧倒する地位まで上り詰めたといいます。

 

では、その織田信長の父「織田信秀」の生涯を年号にそって見ていきましょう。

 

年号

室町時代

1511年 織田信秀尾張国(愛知県)で誕生 (0歳)

父、織田信定  母、含笑院殿

 

当時の、信秀一家は守護代織田氏の一族で「守護代、織田大和守家」の一角で、弾正忠を称した家だったのです。父の信定が勝幡城を築いたと同時に勢力を拡大していきます。

 

1526年 織田信秀家督を継ぐ (15歳)

 

具体的には、1526年4月~1527年7月にかけて、父の信定から家督を継ぐ。当時、尾張国(愛知県)には沢山の勢力が存在していた。家督を継ぐのにまもないまま、1532年に織田氏達の争いが起きるがすぐに講和。

 

1533年 連日蹴鞠会を開く (22歳)

 

1532年に起きた争いを機に自らの威勢を表すために京都から飛鳥井雅綱(蹴鞠の宗家)を呼び、沢山の群衆と共に清州城を盛り上げた。

 

1534年 織田信長が誕生 (23歳)

 

父、織田信定 母、含笑院殿の間で、織田信長が誕生。信長の経済政策の裏には父、信秀の育ちの影響があると思われます。

 

織田信長の徹底解説をしている記事があるので、年号と共にご覧ください。

hummym.hatenadiary.com

 

1538年 織田信秀、愛知郡に勢力を拡大。 (27歳)

 

今川氏豊から那古野城(愛知県名古屋市中区)を謀略をし、愛知郡に勢力を拡大する。那古野城は廃城となり、現在の名古屋城に新しくなる。

そこから点々と居城をするといった戦国大名として他とは違う行動をしていく。

 

1539年 信秀、古渡城を築く (28歳)

津島に継ぐ、二つ目の熱田を支配をする。

 

1540年 朝廷に協力的にお金を回す。(29歳)

 

熱田と津島で経済力を備えて、経済的に伸長し、朝廷に献金また1541年にかけ伊勢神宮遷宮のため、材木や銭700貫文を献上した。さらに、1543年には朝廷に内裏修料理として400貫文を献上。

 

と朝廷中心の体制にあった。

 

1544年 加納口の戦い (33歳)

 

加納口の戦いとは

斎藤道三稲葉山城(現、岐阜城)を攻めるが反撃で敗北する。

 この斎藤道三は、尾張を代表する戦国大名である。

 

1546年 織田信長那古野城を譲る (35歳)

 

息子にあたる織田信長那古野城(現、名古屋城)を譲っている。親子の関係にかなりの信頼関係があったことがわかります。

 

1547年 信秀、岡崎城を攻め落とす。 (36歳)

 

1547年に岡崎城をもっていた松平広忠徳川家康の父)を降伏させた。家康が人質になっていたから事が起きたともいわれています。

 

同年 第二次小豆坂の戦いで敗北 (36歳)

 

第二次小豆坂の戦いで、今川方の太原雪斎に敗北。

 

小豆坂の戦いとは

三河国額田郡小豆坂(現在の愛知県岡崎市字羽根町字小豆坂)で行われた合戦。今川氏、松平連合と織田氏の間での戦い。

※第一小豆坂の戦いもあったといわれているが、おきたのか論争がされている。

 

 これにより、守護代大和守家とも悪くなり尾張を代表する「斎藤氏」と和睦を求めるようになる。それには条件があり、「織田信長と斎藤氏の娘(濃姫)の結婚」を要求する。

 

 1552年 末森城で死去 (41歳、42歳)

 

死因は、疫病、流行病と言われている。

葬儀には、僧侶300人を集結させるほどの大きいものになった。

 

まとめ

 年号と一緒に「織田信秀」を見ていくといくつかの事がわかります。

 

  • 戦国大名にはない居城の移動により勢力の拡大
  • 朝廷中心の考え方で、沢山の献金
  • 行動力と優れた賢さで、経済を発展させる。

 

この特徴たちは息子の織田信長に受け継がれていることがわかります。

 

 

尾張国を統一を寸前に織田信長に受け継がれています。織田家尾張国統一まで導いたのは「織田信秀」の行動にあったことがわかってきます。

 

織田信長はもう教科書には欠かせない人物ですが、織田信秀はそこまで知られた人ではありません。この機会に知っていただけたらなと思っています。

健康と幸福を簡単に得る方法。

f:id:hummym:20200427164820j:plain

今まで生きる中で、必要とおもわれる、「幸福」と「健康」が必要だと思います。誰だって健康と幸福の問題に頭を悩まさると思われますが、実は結構簡単に「健康と幸福」を得ることが出来るのです。

 

まず、結論を言いましょう。「自然環境に120分以上過ごす」です。そんなことで簡単に得ることが出来るのかい。と思われますが2019年6月にこのような論文があります。

 

研究「論文」

White, M.P., Alcock, I., Grellier, J. et al. Spending at least 120 minutes a week in nature is associated with good health and wellbeing. Sci Rep 9, 7730 (2019). 

https://doi.org/10.1038/s41598-019-44097-3

「英国エクセター大学医学部ヨーロッパ環境人間健康センター

マシュー・P・ホワイト、イアン・アルコック、ジェームズ・グレリエ、ベネディクトWウィーラー、サラ・L・ウォーバー、アンジーボーン、Michael H. Depledge &ロラE.フレミング

 

からなる環境と人間の心理について研究されたもので、研究参加者、1万9806人を自己申告制によるものです。また60分のブロックで自己申告をしてもらいどれくらい健康で幸福を調べる。

 

すると面白いことから、120分以上自然の中にいることで、「健康状態と主観的幸福感が高い」と自己申告する人が多いことが分かった。しかし0分~59分いた人と60分~119分の人では、「健康状態と主観的幸福感」では、あまり差が出ないことがわかってしまったのです。

 

また、一日120分以上自然環境の中にいた人と一週間に数回、自然の中にいた人では「健康と幸福」とでは差がない結果に。しかし、これは騒音や大気汚染の影響をうける施設や公園などは無関係なことです。

 

120分以上いれば良い話ではなく、200分~300分では「健康と幸福」が向上傾向になかったという。

この論文からわかるように、自然と人間の心理には大きな影響を与えることがわかります、。ではどうやって、簡単に健康と幸福を得ることが出来るのか。

 

 

得る方法とは(私が考えること)

  1. アウトドアなスポーツを始める。
  2. 週に一回は自然に触れてみる。
  3. 家で植物を飼ってみる。
  4. 外に出る時間を増やす。

 

 アウトドアなスポーツを始める。

f:id:hummym:20200427233117j:plain

アウトドアスポーツすることが、一番の近道だと思います。釣り、キャンプ、登山など沢山のアウトドアスポーツがあり運動をするにあったての健康向上と自然と触れ合うといった幸福感の向上にも繋がります。

 

また自然と触れ合う時間を増やすのも健康と幸福に向上にもなりますが、太陽光に一定時間浴びるのにも健康向上に関係すると言われています。

 

エジンバラ大学のリチャード ウェラー博士(皮膚科学)

https://www.ed.ac.uk/news/2013/sunshine-080513

 

日光に20分浴びることで血圧低下と心臓疾患の発症率の低下という研究結果である。

 

日光を浴びることで、体がビタミンDを作り出します。ビタミンDにはカルシウムが小腸で吸収されるのを助ける働きをします。これにより食事から摂取するカルシウムの吸収がよくなり骨が頑丈になると言われています。

 

また紫外線を少しだけ浴びることで、血圧が低下するとも言われており。数十分のウオーキングは効果がよく。日焼け止めなどは紫外線がカットだれるため、お勧めしない。と述べられています。

 

週に一回は自然に触れてみる。

f:id:hummym:20200428000347p:plain

簡単に言えば、一週間に120分以上自然と触れ合えばいいので観光するなり、ちょっと車で、家族で遠出するなどもよさそうです。

 

家族、友達などとの幸せを感じられるのは、主観的幸福感と心からの幸福感が感じられると思います。

 

家で植物を飼ってみる。

f:id:hummym:20200428214142j:plain

 これは思い切った発想だと思います。ベランダやガーデニングに沢山の植物を置くことによって緑増やしていく作戦です。

 

わたしも一回はやってみてどのように感じるのか実験をしていきたいと思います。

 

外に出る時間を増やす。

f:id:hummym:20200428215245j:plain

歩く、走るの運動はある一定の時間行うことによって、かなりの健康と幸福を向上させる効果があると言われています。

https://doi.org/10.14900/cjpt.2011.0.Eb1258.0

 

こちらを参考にしてもらえば、わかるように毎日運動することはかなりの効果があることが証明されています。いつもの行動手段を自動車~歩行へ、など小さいことから変えていくことで毎日が変わってくると思います。

 

まとめ

この研究からわかるように、人と環境は大きく影響をもたらすと思います。ここで紹介したことは、必ず健康と幸福が向上する!!ってことを指すのではなく一度行ってみて、試してみることが大切だと思います。

 

研究も一概にも正解だと言えないので、私も一度行ってみたいと思います。

 

 

スパイダーマンになった話 (夢)

私が、小学生の時だろうか?あの憧れのスパイダーマンになったことがある。その時ブームだった映画「スパイダーマン」「スパイダーマン2」などホントに好きすぎて蜘蛛に噛まれたらなるんじゃね?みたいことを本気で思っていたこともある。

 

その時の記憶は曖昧だが、やっぱり蜘蛛の糸で振り子のように空を駆け回ることをしていたことを思い出す。今の東京のように大都会でみんなが助けを呼んでいる。「プッシュ!待たせたな!」的な事を思いながらフラフラと。。

 

壁をよじ登っては、高い所で拝見と。。小さい頃の夢ですが今でも少しは覚えている。

 

 

余談

スパイダーマンの赤色もカッコいい、でもやっぱり黒のスパイダーマンがカッコいいいいい。。と思っていました。スパイダーマンの映画で一番好きなのが、アメイジングスパイダーマンです。あの画質とCG凄さ、やっぱり綺麗な方が個人的には好きなので。

 

ゲームでもスパイダーマンに触れることが出来ますよね。Ps4やったりスマホやったりと、クッソ好きなんですが聞いた話ではPS4のゲームの最高難易度が滅茶苦茶難しいらしいです。

 

一度やってみたいです。。

 

「日本史シリーズ」「織田信長」について徹底解説!!天下統一があと少し、何があったのか

f:id:hummym:20200421232227p:plain

みなさま、自粛中でかなりしんどいと思います。わたしも自粛中でかなりキツイ思いをしている中、今回初めての「日本史シリーズ」をこれからやっていこうと思います。2010年朝刊ジュニアシリーズ「マンガ日本史」を参考文庫として、「織田信長について」解説していきたいと思います

はじめに

2010年に、朝日新聞から出版されていた「週刊マンガ日本史」から、ジュニア向けのものとなっています。織田信長の他に50人の人物を週刊されており、歴史について深く知れるものとなっております。(現在はないと思われる)

 

 織田信長について

1534年6月23日生まれ  尾張国「おわりのくに」(愛知県)出身

父、織田信秀     母、土田御前

 

 

特徴イエズス会宣教師のルイス、フロイスの「日本史」https://ja.wikipedia.org/wiki/フロイス日本史

  • 背丈は中ぐらい、やせ型
  • 極度に戦いが好き
  • 占いや迷信を全く信じない
  • すぐれた理解力と判断力をもつ

 

優れた独自の思想をもつ、いわば「天才」。天下統一を目の前にして、成し遂げられなかった「織田信長」ですが、この方は変わった人であったと言われています。町の人からは「大うつけ」(愚か者)と呼ばれていたのです。

 

ある一説によれば「奇抜な服装で街をうろついたり、町人たちと一緒に騒いだりと、非常識な行動を取っていた。また(父、織田信秀)の葬儀に正装をせずに現れ、父の位牌に抹香を投げつけた。」

 

と、父の葬式に常識とは、かけ離れたことをしたと言われています。その「織田信長」の人生(年表)を詳しく見ていきましょう。

 

年表

室町時代

1534年 織田信長尾張国(愛知県)に誕生 (0歳)

父 織田信秀、母 土田御前から、生まれた織田信長

 

織田信長の父「織田信秀」を詳しく見たい方

hummym.hatenadiary.com

 

 

1551年  織田信長家督を継ぐ (17歳)

父、織田信秀の逝去。死因は疫病、流行病といわれている。

 

ここから、織田信長の天下統一の挑戦が始まり。

 

 

1560年 桶狭間の戦い (26歳)

桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)とは

駿河国「するがのくに」(静岡県)の大大名、今川義元(いまがわよしもと)尾張国(愛知県)の織田信長との戦い。 

織田信長が戦に勝利。

ja.wikipedia.org

 

知識

織田軍、2千人余りに対し今川軍2万人近くいたのに関わらず、織田軍の勝利。それには、織田信長の頭の良さがあると考えられます。

攻めるにあたって、迂回して襲撃したと言われていますが、「信長公記」(太田牛一著)によれば、正面突破説が濃厚と言われています。織田軍が迂回を予測して、軍事力を割くにあったって正面の人数が少ないと考え正面突破を図ったと言われています。

 

 

1562年 織田信長徳川家康が同盟を結ぶ(清州同盟) (28歳)

清州同盟とは

桶狭間の戦いで、今川氏の敗北により独立をした徳川家康(松平元康)と織田信長が同盟を結ぶ。

 

 

1567年 美濃加納に楽市令を出す。 (33歳)

楽市令とは

別名、楽市楽座

いわば、織田信秀の領域で自由に商売ができる経済政策。

 

織田信長が、美濃国岐阜県)を攻略をして、織田家の領土になる。 

 

 

1568年 足利義昭を引き連れて上洛する。 (34歳)

上洛とは

主に、京都にいくこと。

 

織田信長と上洛をした、足利義明は15代将軍となる。

 

 

1570年 姉川の戦い石山合戦が始まる。 (36歳)

姉川の戦いとは

織田、徳川軍と浅井、朝倉軍との戦い。

 

石山合戦とは

顕如浄土真宗の僧)率いる宗教的武装勢力 と 織田軍との戦い。

石山本願寺で反発がおこったため、「石山合戦」といわれる。

 

 

1571年 比叡山延暦寺を焼き打ちにする。 (37歳)

現在、滋賀県大津市にある延暦寺から兵4千人の宗教勢力が、織田信長に戦国統一に危険だと思われ、焼き討ちにした。

 

 

1573年 15代将軍の足利義昭を追放する。(39歳)

 

信長のやり方に不満を持った義昭が武田信玄朝倉義景浅井長政などと同盟を結び対抗する。これにより、京都から追放され室町幕府が滅亡した。

 

安土、桃山時代

 

 

1574年 伊勢長島一向一揆を制圧する。 (40歳)

伊勢長島一向一揆とは

石山合戦とほとんど変わらなく、伊勢長島(伊勢国尾張国の境界)地域で、本願寺が起こした反発。

 

知識

一向一揆とは

浄土真宗の信徒、農民、武士、商人などが、権力に対して反発を起こすこと。

 

1575年 長篠の戦、越前一向一揆の鎮圧。

長篠の戦とは

織田、徳川軍と武田勝頼との戦い。

1573年の足利義昭武田信玄と他と同盟を結んで対抗する。脅威を振るう武田信玄が徳川国に侵攻するも急死。これに対抗するように徳川軍が反攻する。後継者の武田勝頼

戦いを継続させ徳川軍の長篠城で決闘をする。

 

ja.wikipedia.org

 

 

知識

織田信長は、このころ使うことが少ない鉄砲を使いこなし戦いに勝利しました。有名なことでは、「三段撃ち」でありますが色々な説が立てられています。

 

三段撃ちとは、

一発撃ってしまったら次の発射に時間がかかります。これでは、襲撃には耐えられなとされ、三段に並び前線が撃ったら、中線が撃つ、とローテーションをして戦う戦法です。

でも現在、「三段撃ちには、足りない銃の数」などなど、不可能説も立ててあるのです。

 

 

 1576年 安土城を築く (42歳)

 

城は、その将軍の権力を指すといっても過言ではないです。現在、跡地しか残っておらない「安土城」ですが、かなりの大きさだと言われています。観光もできますので、滋賀県にお越しください。

 

 

1577年 安土に楽市令を出す。 (43歳)

 

楽市令とは、

別名、楽市楽座
いわば、織田信秀の領域で自由に商売ができる経済政策。

 

織田信長のシンボル「安土城」に町に楽市楽座をだし、経済政策を豊かにした。

 

 

1580年 本願寺顕如と講和、石山合戦終わる (46歳)

 

ここまで、長く戦いをしていた「石山合戦」は終了に終わり、宗教勢力の僧、顕如織田信長は講和をする。大阪から退去させた。

 

 

1582年 本能寺の変 (48年)

本能寺の変

織田信長が、中国地方を支配する毛利氏を倒すべく向かっている途中に、京都の本能寺に滞在したところを知った明智光秀が襲撃。 自害する

 

ja.wikipedia.org

 

わたしは、この印象しかないほど有名な話で天下統一を目の前にして成し遂げれなかった理由がこれです。

 

まとめ

このことから分かるように

  • 独断的でまとめる力がある
  • 判断力がものすごい
  • 天下人とおそれるほど

染まることのない「織田信長」だったことが歴史を見ていけばわかります。もし本能寺の変がなければ本当に天下統一を遂げていたかもしれません。

 

今回は「織田信長について」を紹介しましたが、もっと他の人物にも触れていこうと思っています。もしよければ。Twitterフォローと読者ボタンをポッチとお願いします。

 

 

子どものころから、「伸びる子供」にするに必要なこと

f:id:hummym:20200419162150j:image

時代の流れは、目で分かるようにどんどんと進化をしてきています。携帯電話の進化を見ていただいて分かるように、電話をできる機械から現在、「電話、インターネット、ゲーム、メール」など、いわば小型化されたコンピューターともいえるでしょう。

 

時代は変化を遂げている中、他の変化もあります。それは「子供の教育」にも、みるみると変わってきているといいます。「先生からの体罰」や「パワハラ問題」など、昔と比べると子供の教育に対して、暮らしやすい環境になってきています。

 

しかし、この暮らしやすい生活が少し問題があるといいます。この問題を解決策は「非認知能力が必要」にあると本書はいいます。まず「非認知能力」とはなんでしょうか。「伸びる子どもは○○がすごい」を参考文庫として解説していきましょう。

はじめに

著者、榎本博明さんは、日本の心理学者であり、ライターでもあります。他の著書でいうと「ほめると子どもはダメになる」「モチベーションの新法則」などなど、人の問題は必ず心理が要因しているといいます。

 

では、東大出身の心理学者から「子どもの心理」について詳しくみていきましょう。

 

 

 非認知能力

非認知能力とは

感情をコントロールする力、動機づける能力、想像力、自分を信じる力などなど

 

この非認知能力が現代社会で必要となることです。

アメリカの心理学者が、子供の成長を追跡した研究では、将来の富、健康を予測でき事を発見したそうです。

しかし、新人の人たちが「非認知能力」がない人が少なからず多くなったといいます。

 

 

現代の子どもの育ち方

現代の子供の育ち方が「気づきやすい新人」を作ってしまっていると述べられています。その原因は、時代の変化にあると思います。よくある学校での、体罰問題、親からのクレームなどで、学校から厳しく指導ができないという。

 

これにより、叱られる、注意されるといったことが減少してしまい本書でいう「きずつきやすい新人」が多くなるといいます。

学校のアンケート結果のおいて子供に対しての結果が出てきています。

 

 

例えば、

子どもに甘い保護者が多くなった、学校で厳しく指導することができなくなっている、などなど、

 

現代の子供たちは、こころの忍耐性が低いため、怒られる、注意されるといったことにすぐ感情的になることがわかります。

 

 

 

 

IQだけが高いだけじゃ成功しない

「非認知能力」が高い人が人生の成功に繋がっているそうです。

IQは、遺伝が関係していることがあるため、努力で伸びるのも限界がある一面があります。他の人をみているとIQが高い人だけが人生を成功させているのかというと答えは、NOです。

 

この非認知能力は、小さいころからの教育で高めることができるといいます。「非認知能力」が高い人の特徴はこちら

 

自己の事

  • 感情、欲求に気付ける
  • 自己コントロールができる
  • 自分を奮い立たせることができる
  • 長期間の計画が得意
  • ポジティブにとらえることができる

対人

  • 協調性が高い
  • 相手の立場、気持ちを考えることができる
  • 自分の気持ちを素直に伝えることが出来る
  • 気持ちを共有できる

など、簡単にいえば対人関係が強いことがわかります。よく考えてみれば、一人で成し遂げれる事はないことがあります。必ず「人」とうまく付き合える人ほど、ファンを作ることにも繋がります。

 

 

親の非認知能力が高いといけない

子どもの育つ環境に大きく影響するといいます。よくあるのが小学生でピアス、髪を染めているなど、不良に走る子もいます。その多くは親(母、父)をみれば一瞬でわかることが出来ます。

 

そう考えると、親が子供にもたらす影響はものすごく強いと考えられ幼少期の行動傾向は、親の教育が関わっているのだと考えられます。

 

「非認知能力」を高める方法

 

  1. 親が子供にたくさんの愛情をそそぐこと
  2. 自分で物事をさせる(勉強など)
  3. 失敗に強くさせる
  4. 共感性を高める
  5. 効果的な褒め方をする

などなど、詳しくみてみると

 

1、親が子供に沢山愛情をそそぐ

これは、対人関係に多く作用することで、子供に沢山の愛情を注ぐことで、他人を信用する、人に対する恐怖感をなくすなどなど、

 

動物を見ると分かるように、人からの愛情を多く注がれた動物たちは人に興味を持ち近づいてきます。反対に、人から虐待を受けてきた動物は怯え、攻撃的になります。

 

2.自分で物事をさせる(自発)

子どもの行動を一緒にこなすではなく、後ろからサポートをするように心がけることが大切だと思います。

 

わたしを含めて、親から「勉強をしなさい」と言われてから手を付ける習慣でした。これには、あまり良くないことで「誰かにやれ」と言われてから行動することしかできなくなってしまいます。

 

3、失敗に強くさせる

子どものころから、失敗への耐性をつけておくことが大人になった時の不安を削減できる。

 

例えば、失敗をしたときに一緒に寄り添ってあげる。失敗したときに、言葉をかけてあげて不安を取り除くなどなど

 

4、共感性を高める

共感性を高めることは、対人関係においてとても大切なこと。

 

例えば、できた友達と遊んでいるとき「○○君、怒っているから謝りなさい。」「○○君、すごい嬉しそうだったよ。」などなど

 

親が感じる共感を共有することが大切です。

 

5、効果的な褒め方をする

褒められることの嬉しさを伝えることで、好奇心、モチベーションに繋がる。

 

むやみに褒め散らかすのではなく、例えば、勉強を自分からし始めたとして、「自分から、勉強すること」を褒め、挑戦することが凄いことを伝えるなど、

 

これは、自発性を強化することにも関連してくると思います。

 まとめ

本書では、新人たちには生きていく中で必要なことが抜けている。と私は読み取れました。新人たちの多くは、叱られる、失敗を恐れる、感情のコントロールが苦手と様々なことに対して低いと感じられます。

 

現代社会では、インターネットの普及が大きく世界を変えてきたと思います。それにより、将来を見据えることが難しくなってきていると思います。

 

しかし、いいかえると「将来を新しく見つけ出せる」とも考えられます。学力が高い人でも低い人でもこの「非認知能力」を鍛えることで、人生が大きく変わってくると思います。

「世界のイメージ」は全く違います。 勘違いをしていた。

f:id:hummym:20200416213221j:plain

私たちは、日本という国に住んでいます。沢山の映画、音楽、世界各国のイメージなどで、「この国は、こんなところなんだ」とイメージを持っています。例えば、フランスに行くとオシャレなフランス料理だの、カッコよくワインを乾杯する地元の人」などなど

 

たとえ、フランスに限ったことではなく各国どこも日本に入ってくる情報はいい印象を与えます。

 

しかし、私たちがイメージをしていた世界は「違う世界」が広がっているそうです。それは、なぜ「違う世界」かというと「日本人は、世界を詳しくない」といいます。

 

では、なぜ日本人は、世界を知らないのか。今回「世界のニュースを日本人は何も知らない」を参考に「世界のイメージ」を全く違うものにしていきましょう。

 はじめに

著者、谷本真由美さんは元国連専門機関議員に勤めておられました。勤労経験では「日本、イギリス、アメリカ、イタリア」など世界各国で仕事を経験されており、日本人が普段触れることない情報を、本を通して発信されています。

 

では、元国連専門機会議員だった方から現在の日本を内側だけではなく、外側から見ていただて

なぜ日本人は「世界を全く知っていない」と断言できるのか。

 

 

「日本」という国

 

世界地図を思い浮かべてください。

日本は島国で、さほど大きい領土を持っていません。しかし、国として大きい存在となっており、世界から一躍を置かれる存在であるでしょう。その日本に住む日本人は「世界を知らない」といわれる原因が二個あるといいます。

 

  • 日本は島国
  • 長いものに巻かれろ体質

 

1.日本は島国

わたしは、これが一番大きいと思っています。世界地図を見てみると日本の周りは海に面しています。これにより、他の国と比べて国際交流が少なく日本人が英語を話せない理由もここにあると思っています。

 

これにより、日本が他の国と面していないため隣国トラブルも少なからず無い。

「他の国のことに興味ない」と感じる人が多いわけです。

 

 

2.長いものに巻かれろ体質

本書では、日本人は「自分の人生にシビアな目を持って向き合わず、危機感を抱くことがない。」と書かれています。

 

つまり、与えられたものに疑いもなく、自ら、「新しいものを作り出す」「スキルを磨く」など、自己投資をする人が少ないということ。今現在では、youtube等のSNSの発展で、自分でビジネスを作り出す人は多い傾向にあると、私は考えています。

 

では、次から各国のイメージを覆して行きましょう。

 

 

日本はものすごく恵まれている。

 

私たちは、ごく普通に日本に生活しています。しかし、これは日本の外から見てみると「日本は、ものすごく恵まれている」ということがわかります。

 

例えば、日本で医療を受けるとき、入院に掛かる費用として平均約22万ほどかかると言われています。払う費用と高度の技術が、とても良い日本では、ごく普通に感じますが、これはいけほとんど日本だけなのです。

 

アメリカなど治療費が高く、貧困民は病院に行けないとよく聞きます。他の国にもこれは該当することで、日本のような少ない自己負担額と健康保険料で、高度な技術が受けれることは、とても凄いことだと本書はいいます。

 

また、日本は世界一治安が良い

 

家賃を見ていたただくと、かなり安価に住めるところが多く提供されています。しかし、他国では、「安い物件ほど危険で物騒なとことを指す」といわれており、安全に住みたいのであれば、高い物件を探すしかないそうです。

 

ウェルカムなカナダ(移民)

 

アメリカの上に位置するカナダ。私のイメージでは、隣国がアメリカなため沢山のアメリカ人が住んでおり、英語が町中を飛び交っているイメージでした。

 

しかし、この本書の中に、「移民受け入れを増やすカナダ」と項目があります。それは違う国からの人たちが多く住んでいるといいます。移民のメリット、デメリットをあげてみましょう。

 

デメリット

  • 価値観の違いでトラブル
  • 母国人割合の減少
  • 言語の壁

メリット

  • 創造性の高い人がくる
  • 多様性が向上する
  • 少子高齢化の改善

などだと思っています。移民問題は、ものすごく大きく取り上げられている国がある中。カナダは、受け入れる方に目を向けているそうです。経済状況はよく、成功していると書かれています。

 

 人種差別にも、差がある。

 

人種差別は必ず起こるものだと思います。文化の違い、容姿、考え方にも、どこの国も違いがあります。国によっては、罵声をあげられることもあるそうです。

 

本書では、フランスについて記載されていますが、どこの国にも偏見などが存在するので、旅行をする場合など詳しく文化などを知る必要があります。知らずに、この現場にあったときなど不快な思いをするだけなので、知っておくことが大切だと思います。

 

では、

世界のニュースを得る方法とは?

 

  • 信頼できるニュースサイト(National Public Radio , TIme Magazineなど(本書から抜き出し)
  • 本を読む

などなど、沢山の方法が紹介されています。今現在インターネットが普及しているため、沢山の情報が飛び回ってます。これをすぐ鵜呑みにするのではなく、一度考えて行動するのが大切だといいます。

 

まとめ

 「世界のニュースを日本人は何も知らない」を紹介してみました。

私は、世界の情報をまったくの無知のなか「○○○行ってみたい」などを言っておりました。なんでも、情報を知っておくことの大切さを実感できた本だと思います。本書には、まだたくさんの内容が記載されており「アメリカの実態は??」「イギリス人は実は○○○だった。」など

 

わたしたちのイメージとは、まったく異なったことだったのです。日本(母国)以外の情報を知っとくべき大切さ、情報を得ることの重要さなどをいろんな視点から書かれております。

 

今、世界の事をもっとしるきっかけにもなった本です。すこしでも興味がある場合読んでみてください。

 

 

「人間の時間」と「動物の時間」ではない理由は○○○だった!!

f:id:hummym:20200414000656j:image

この世の中で、様々な生物が存在しています。私たち人間、動物、植物、微生物、この生き物たちも皆、生死を繰り返して今現在に至るわけです。その中で、「私たち人間が軸として時間が回ってるんじゃない?」と考えたこともあります。

 

しかし、この発想そのものが完全なる「誤解」だったのです。この本書「ゾウの時間、ネズミの時間」を読んでみて、私の考えは別物で違ったものだとわかったのです

 

では、どのように動物たち一つ一つに時間があるといったのでしょうか。それは先に行っとくとサイズですそれはなぜか、この本を熟読してまとめてみました。それではどうぞ。

はじめに

著作者、本川達雄さんは、日本の生物学者であり生物を研究されておられます。この「ゾウの時間 ネズミの時間」の「サイズによって時間が変わる」こと、を知られたときは驚いたそうです。

 

また、シンガーソングライターでもある一面も持っておられ「生物学の知識を歌にして覚える」という学習方法を提唱されておられます。作った歌たちをまとめられた「歌う生物学 必修編」を出されておられるので、生物を勉強する上では、ものすごく役に立つ思います。

 

ぜひ聞いてみてください。

 

 

動物のサイズと時間の関係性

 

サイズによって時間は変わる。

 

様々のサイズの動物たち(ゾウ、ウマ、ネズミ、イヌ)などの哺乳類たちは時間とサイズとで、このような関係があったのです。

 

時間∝(体重)4分の1  「∝は比例の記号」

※(体重)4分の1は、平方根を指します。

 

つまり、体重の4分の1と時間は比例しているということです。サイズ(体重)が大きい動物(哺乳類)たちほど、長く生きるということです。

 

例えば、

時間が16倍になると(体重)4分の1は2倍になる。

 

ネズミとゾウの寿命の長さを比べてもらうとすぐわかると思います。しかし、サイズの大きさで変わっってくるのが動きです。大きくなるにつれて、動きは緩くなる。小さいサイズの動物ほど動きが速いことがわかります。

 

 

サイズが小さいほど、息をする間隔、心拍のスピードが速いことになり感じる時間速くなり、それに比べてサイズが大きいほど、間隔が遅く、心拍のスピードも遅いため、ながれる時間は遅くなり長く生存するということです。

 

では、最初から大きい動物は、長生きをしているのか小さい動物たちはすぐ死んでしまうのか。

 

 

 

 

サイズと進化との関係性

初めから、ゾウなどの動物たちは大きかったわけじゃない。

 

コープの法則

進化における時間が進むにつれて大きくなっていく、という傾向は、「同じ系統の中では、大きなサイズの種は進化の過程で、より遅れて出現する傾向がある」

 

つまり、現在の動物(人間)たちは環境に対応するように古代から進化してきている。といこと

 

始まりは、すべて小さい動物からと本書は説いてあります。それは、小さい動物ほど時間が短く、個体数が多いため突然変異で生まれる確率が高いためです。そこから独自の成長を遂げ、大きくなっていくわけです。

 

 

島の規則

ウサギ、ネズミの小さい動物ほど、島では大きく。逆にゾウなどの、大きい動物は小形化していった。

 

島という環境は、捕食者が少ない環境である。

例えば、肉食動物の食料が50匹の草食動物だとしよう。島は狭く草食系動物たちの食料が10匹しか養え状態で、肉食動物たちの食料が不足してしまい生きていけない状況なってしまっているのが島なのです。

 

それにより、私たちが見る動物たちの逆にサイズになってしまっているのです。

 

 

 

サイズとエネルギー消費量との関係性

 

サイズとエネルギー消費量を関係は、大きい動物ほど体重の割にはエネルギーを使わない。

 

なにもしないで消費するエネルギーを標準代謝量といい、単位時間あたりにして、どれだけ消費したか代謝の速度を表しています。ゾウ~ネズミまでの様々のサイズからこのような、関係があります。

 

log Es= log4.1+0.751×logW 

(Wを体重(kg)、Esを標準代謝量(ワット)とする)

 

対数の式を指数に書き改めると、

 

Es=4.1W0.751

(Esを標準代謝量(ワット)とする)

※0.751乗 

つまり、

「標準代謝量は体重の4分の3乗に比例する。」

 

 

例えば、

体重が100倍になればエネルギー消費は32倍

 

となれば、体重とエネルギー消費は、体重の増加の18分の1しかない。ゾウとネズミとで体重の差はすごく大きいものですが、体重の倍数に比べてあまり大差がないのです。

 

 まとめ

私は、この本を読んで伝えたいことは、サイズとの関係だと思っています。

 

サイズが大きくなるにつれて、環境に適応する力があります。また、消費エネルギーも体の割に少なく行動できるため長く生き延びる(時間が長い)。

 

それに比べ、小さい動物ほど環境に左右され適応するのに進化を遂げ続ける。(昆虫など、硬い甲羅などで乾燥、捕食者から守っている。)などの具体例が挙げられます。

 

動きが活発になるにつれ、エネルギー消費も大きくなる。かなり必然的なことです。これからの動物たちの「見る考え方」が変わってくると思います。

 

今回は、理科系読み物の大ベストセラー「ゾウと時間 ネズミの時間」を参考文庫にしてみました。興味がある人は読んでみてください。